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yuuの一人芝居

yuuの一人芝居

今拓く華と路と空と風8

今拓く華と路と空と風8 

たそがれていくなかで考えたことなどを書き連ねることにしている。
これも今の現状を書いているので「自分史」として考えている。


 書くことの意味を考察  2016/7/17

今、この年になって書くことの意味が分かり始めている。遅いか、若いころは我武者羅に書いていた。目の前にあるものを文字に変え書いた気でいた。書いた数をここに書いて恥をかくつもりはない。が、何百という数になる。そのほとんどが、今考える文学ではなかったといえる。書く者にとって当時は必然を書いている気でいたが、振り返って今読んでみるとそうとばかりは言えない。
私は職業作家であるとは言えない、時に連載を頼まれて書くというくらいの、今でいう売れないものかきであった。戯曲をたくさん書いたがそれらのほとんどは自分の劇団で公演した。稽古場兼スタジオを作りそこで練り上げたものれを芸文館の舞台を移したといえる。
書くこと、すなわち私が読みたいもの、他の物書きが書いてくれないから自分のために書いたということなのだ。
稿料をもらって書くときには本当に追い詰められて苦しい思いをしたものだった。が、自分にために書くいう行為は何とも楽しく開放感があり至福の時を過ごすことができた。資料、参考文献を読み漁りそれを消化して書くのだけれど、そのことを忘れるために書き始めの二、三日前にはパチンコ屋の騒音の中にいて、また、深夜の日活ロマンポルノを見て、頭の中からすべてを開放することをよくしたものだった。書き始めると、その間、頭の中で書いているので原稿用紙に文字を連ねるだけという作業をするだけで、時間的には二、三日で書き上げることができた。書きながら読むという繰り返しでたくさんの作品を書いたことになる。書くという行為は孤独との戦いだと皆さんは思われるかもしれないが、作中の人物とわいわいがやがやとふれあいとにぎやかさの中で書くことができるものなのだ。よく作中人物が書き手の中から逃げ出して一人歩きをし書き手を困らせることもあり、その駆け引きは予断を許されないが楽しい時間が持続できることでもあった。これは書くことをした人にしかわからない狂喜乱舞の心のさまを会得することになる。だからその狂喜の中に再び入りたくて手当たり次第に安易なテーマで自己満足の境地を得ようとすることもあるのだ。書き手としては人間の、社会の新しい側面に触れていると考えて書くのだが、自己陶酔という罠が潜んでいることをその時には気づかないということだった。そんなこんなをくり返しながら世間に背を向けて生きていると、周囲からは奇人変人横着物と綽名されることになる。
白河法王を、崇徳帝を、西行を、平清盛を、堀河の局を、待賢門院を、瀧口入道を、横笛を、書くために平安末期に遊び彼らと語らっての会話の末に、書くという行動を起こすときには懺悔の気持ちが支配して緊張ゆえに身震いがしたものである。また、小野小町を、平安の初期に訪ね琵琶湖畔の小野の庄に百日通いをした日々が今は懐かしく感じられている。また、江戸末期に心を馳、良寛、貞心尼に真の人間の姿を見たのはうたかたであったのか。それらは私が感じ思ったことを書いたもので世に出ることはない、また、出すつもりはないものなのだ。私が読みたいから私のために書いたものだからなのだ。
 さて、今のものを書く人たちはどうなのだろうか、売ることを前提にして読む人たちの好むものを大量に書き流行作家と称されてペンクラブ、作家協会で踏んぞり返っている、それを見るにつけ、その昔の作家の生き方を清廉と感がしているのは私一人であろうか。
 読書は、今を生きるために読むのであるという認識は私にはない。即席に知識をものにしてそれを使いなり上がろうとする人たちへのものが氾濫しているが、それでいいのだろうかと老婆心ながら感じる。
 今、こうして書いているのは私が二十歳代に読んだ本が心の中で発酵して湧き上がってきたものを文字としてあらわしていることを実感している。
 ヨーロッパの古典文学、哲学、経済学、心理学などの読んだ残りかすが書かせているのだと感じている。だが、今はそれらの本を読む人たちはいないことも知っている。また、今、これからの人間の社会の進化を題材にしてのものは書かれていない現実に寂寥感を持っている。
 最近、日本の古典文学が夢の中に出てくるように頭の中に彷彿して現れ微笑みかけてくるのだ。
 鴎外、花袋、武者小路、志賀、佐藤、谷崎、菊池、芥川、久米、外骨、井伏、安吾、太宰、川端、公房、
周作、哲郎、三島、邦夫、開口、また、長谷川伸、周五郎、ひさし、またまた、西鶴、近松、京伝、その人たちは私の父であり母であることを思い返させられる。一つ一つの作品はすべて忘却しているが、時にものを書いているときに逡巡と心を満たし力強い応援をいただいたものだ。
 彼らが心にあるということは私の中で彼らが新しい世界を与えてくれたと思っている。
 今、三島のあの華麗な文体におののきを感じ、公房のささやきに恐怖すら覚えている。まさにその当時のものではなく今をいいえ、未来の姿を書き表しているということに驚愕をしている。三島は日本人が感じなくてはならない言葉と精神を伝え、公房はこれからの未来を予言しているのだ。
 このような人たちによって日本は支えられていたという認識を国民は感じ取らなくてはならない。
まさに、新しいものを発見しそれを露呈し人間の行く末を見据えていると言うことにおののきと感謝をもって迎えなくてはならないことなのだ。
 今の物書きに書けるだろうか、この堕落した世の中に一石を投じるような作品を書ける人が…。この混濁としている社会を見て心震わせる人たちがいるのだろうか、これからの人間の変化、いいえ、進化を願い新しい発見をなしそれを必然として書ける人がいるのだろうか・・・。
 金もうけだけを思い書いている人たちにはそれを期待することは酷である。


書くことの意義を忘れた物書き 2016/7/18


 書くと言う事の意味を少し尋ねてみようか…。
 これは私の体験からこぼれおちたものとして書くことにする。
 今の日本には文学も哲学もないという事は広く行き渡った事実だ。
 ではなぜなくなったのか、まず現行の教育と言うものが邪魔をしている。つまり日本国民の民度を高める教育とは言い難い。勉強をしていい大学に入り大企業に勤め高い給料をもらい快適に暮らす。これが人間の幸せだと言う教育をし、また、親たちもそれを望み、本来人間がなんのために生きているのか、その命とは何かを理論的に説明が出来ないと言う矛盾点を解決してはいない。
 本当に人間が生きることで最も大切なことなのだろうか、そのためにこの世に生れて来たというのだろうか。宗教も死んだと言われて久しい、ならば自らがその事を考えて矛盾点を引き出し理解することの努力をすべきだろう。
 だが、それはなおざりにしている。簡単にいえばNHKや各新聞社が流す情報しか知らない、信じないと言う極端な国民が増え、それを代表するのか様な議員が跋扈していることの不幸がある。つまりそれらを教祖とする信者が無気力に怠惰にものを考え生きているという事にすぎない。民度は低下の一途をたどっている。これは教育と物書きの責任であると断言しておこう。
 ものを書く人達は、また書こうとする人達は何を教科書として学び、そこから何を引きだして書こうとしているのだろうか。それらの情報が間違っていたら書くものも間違いであることに気づくべくではないのか。
 まず、精神を無にしてそこに知識の種をまきその成長を見守ることから始めなくてはならない、その種が偽物であれば花は実は正確な遺伝子を持たないものが成長することになる。
 書き手は、今の書き手は先にも書いたがロボットよりうまく書けるとは思えない。それは情報を確実につかみ未来の社会と人間のあり方を予見する能力を備え持っている事だからだ。
 書こうという人は世界の歴史から今何が起こっているのかという情報をそれらの教主のたわごとしか信じないことから大きく飛躍する社会が見通せていないと言う事だ。まず、世界の歴史、それに振りまわされている日本の歴史、世界の宗教のあり方を知識としそれを実践して知恵にしなくてはこれからの物書きは駄目になろう。
 中国と日本は今までに戦ったことがあるか、という質問に何と答えるだろうか。また、キリスト教から派生したイスラム教の比較が正確になすことが出来る人がいるのか。日本の物語を書くにしてもそれを、その真実を知らなくては書けないことだろう。つまり、その中で生きている人達の姿を書くのであるからそれを知る事は必然を知ると言う事になるのだ。
 社会の変革は速く、人間の生き方は大きく変貌している今のあり方が分からなくては何も書けない、それを書こうとしてもつまらないものになる事は予見できる。
 書く物は間違った情報に振り回されることのない確固とした情報の取得に心を配るべきなのだ。
 私は、キリストの、釈迦の、マホメットの、様な預言者になる事を勧めているわけではない。
 色々様々に事実から人間の胸のなか、心を覗いてその変化に注目し、なぜそのようになったのか、これからどのように変化するのかを考えて書いてほしいと切望しているのだ。
 端的にいえば、日本人がテロにあって亡くなる命と、シリアの人達が空爆でなくなる命は同じであることの認識の上に立って書いてほしいと言う事なのである。それがない人の偏狭な思考でものを書いて自己満足をしてほしくないのである。
 愛することがすなわち愛されることの同意語であるとの感覚を持ってほしいという事なのだ。
 今の日本の、日本人の状況の中になにを見るのかと言う視点を育て書いてほしいという事なのだ。今の状態が続けば、私はものすごく恐怖心を持つ。
 まず、人間を見つめ、掘り起こし、これから何が必要かを書き込むことが物書きの仕事であってほしい。
 現実の日本の姿を、そのなかで起きている不条理を看破してほしい。そして、その人達に未来を見せてあげてほしい。それが物書きの仕事であり文学と言えるものだと理解している。
 ものを書くと言う事はその覚悟がなくてはならないと言う事を深く感じている。
 果たして、そんな人達がいくらものを書いているのかは私は知らないが…。
 


   文学を商売に使った菊池寛の野望  2016/7/20


 芥川、直木の受賞者が決まったと報じていた。その事に国民は関心を示しているのだろうか…。これはノーベル文学賞のようにある団体による圧力で決まるものと同じになってはいまいか。
 そもそも、芥川、直木賞は『文芸春秋』を売らんがために創設されたものであるという認識を持って受け止めなくてはならない。菊池寛は商売と文学振興を両の手に持ってあわよくばと言う事で始めている。賞を与えることで文学を志す人口が増え、雑誌が売れると言う両得を考えたという事になる。創設時にはかなりエコひいきがあった。川口松太郎が菊池寛に原稿を持ちこんで読んで欲しいと頼む、菊池は半分に書き変えろと読まずにつき返す、川口は半分にして菊池に手渡す。菊池は読まずに其の半分にして持って来いと返す、川口は半分に推敲して菊池に渡す、菊池はそれを読まずに『文芸春秋』に掲載する。その作品が直木賞を取ることになる。菊池は全く読んでいないと言う事になる。これは皆ぜひ覚えていてほしい。賞の事ではなく二人のやりとりが文学、いい作品を書かすことになる事を。無論菊池は名編集者であり、川口は努力と根性、文学的才能を持っていたからである。
 この話をほほえましく思う。
 が、今の選考委員にはそんな滑稽さはないことだろう。この文を読んでおられる方が、滑稽を喜劇的で面白いという解釈はしないと思い書いている。滑稽は、なめらかに物事を考えるという意味なのだ。それは鬼代の天才師の宮武外骨氏が書いている「滑稽新聞」読まれていればすぐわかることなのだが、果たして読んでおられるのかは分からない。また、喜劇の本質はマルクスの「資本論」の中に書かれていることも承知されておられるのかは問ってみたい。つまり彼が言うところは個人の価値観の相違が笑いを生むと言う事を書いていることだ。
 川口が百枚書いた、菊池は三十枚に書き直して来いと言った、ここに喜劇が生まれ、その結果名作が生まれて。何とめでたい喜劇的な結末ではないのか。
いまは選考委員の技量で賞が決まると言う事を言った。つまり十のことしか知らない選考委員が十二の物は分からなく賞を与えることはないという事なのだ。
 また、この両賞は菊池寛の思惑をはらんでいて商売が最近とみに前面にでてきた感がある。賞を主催するところの商売に役立たないと貰えないと言う不文律がまかり通っているということだ。この賞ばかりではない、今全国で何百と言う賞にもその影は付きまとっている。売名と慣例、ただ振興をしていると見せかけているだけである。
 物書きはもうそろそろ賞などから解放されて、書いたものを自費出版してはどうだろう。
 言いたい、今の賞に何んらの価値もなく将来を約束されたものではない事を…。


文学の堕落は人間の堕落か 20167/20

 ここに坂口安吾氏の「堕落論」を広げてもの申すつもりはない。安吾がそれを書けたのは文学の危機の時ではない。むしろ戦後の復興の最盛期であったから書けたのだ。より求める其の素地はあり、その人材は豊富であったから。野次を飛ばしたと言えまいか。
 言いたいのは堕落していなかったから書けたという事なのだ。これは安吾の生活を書いたものではなく、日本の社会を、人間を、文学をと幅広く彼の知識を根底においてその視点がちりばめられている。彼の手による「堕落論」はその当時多くの人たちに賞賛され読まれたものだ。決して反社会的ではなかった。国の、治める人の、そしてものを書く人の手本として揶揄することから書きつづられていた。
 さて、ここでこの堕落論は今の人達に取り道標になるのかと言うと、たぶん読まないし理解できないことだろう。堕落した世の中には堕落論を書く必要がないと安吾は言うだろう。
 彼は堕落を勧めたのではない、その精神から生まれるものを尊重したのだ。堕落的な生き方の中にしか見えないものがあると言う事を言いたかったのだ。それは総てを否定することによって湧き上がってくる恐怖にも似ている。その恐怖が総ての行動の発端でなくてはならないと言うのだ。
 果たして、このほんを読んでいる人が何人いるだろうか。
 ものを書くと言う事は自己破壊に通じるものだ。優しく言うならば安吾はそれを乗り越えてものを書いてほしいと希有しているのだ。
 彼は知識でものが書かれる事を恐れていた。彼の作品を読むと生きる上での苦悩が浮かび上がってくる。なぜここまで自分をいじめなくてはならないのかと切なくなる。それは実生活のあり様を思えば理解できる。薬におぼれながらも書き続けなくてはならない宿命を感じていたのだ。
 ここらで彼から少し離れよう。
 今、文学がなくなっている、と言うが、そこまで書く者の精神を虐待して書いている人がいないと言う事なのだ。昔から言えば物書きになるチャンスはより多くなっているが、作家と言う事では飯が食えないことも一つの常識になっている。つまり職業としては成り立たなくなっているのだ。それは賞が多くなったからではなく書き手が多くなっても時代に相応するものを書いてはいないと言う事で読者が付かないと言う事なのだ。では、読者が求めているものとは何なのかと言う事になる。まず、書き手は自分ならどのようなものが読みたいのかを知らなくてはならない。平凡に男と女の葛藤なのか、また、現実の社会に起こっている頽廃した物語なのか、それらを書くと言う事はもう書き手としての命は終わっている、つまり、作家が作品を書けなくなると決まって創作作法とか文章教室なるものを書き始める、そこまで来るとこの作家は終わったと言える。なぜ、書く材料がなくテーマを探す目を失い、つまり文学的な生活をしていないところから書かなくてはならぬ新しい、社会の人間を見つけることが出来なくなっているという事だ。つまり生活の中でそこに埋もれて外が見えなくなっていては外の景色が書けるはずがないという事だ。簡単に言えは自分を磨いていない、精進を怠っているという事なのだ。
 こんな時には世界の歴史、日本の歴史、世界のあらゆる宗教を深く知りその齟齬を元に今を考察しなくては未来など見えないのだ。現実しか見えない物書きに未来が書けないと同じようにそこで自分の未来を終わらせていることになる。
 私がなぜにトルストイよりドフトエフスキーを読んだか、シェークスピィアーよりアントンチョホフを読んだか、私は好きだったからというよりそこに語られる人間の姿にいとも激しく共感することが多かったという事だ。サルトルを毛嫌いしたのも彼の実生活が非人間的で親しめなかったという事、ジィド魅かれたのは孤独の中に真の命が息づくと気づいたから。シーペンハウエル、キールケゴールに傾倒したのはわたしに考えられない事を諭してくれたから。キリスト教とその分派であるイスラム教の違いをなぜ学んだかは、これは後に譲りたい
 とにかくでたらめに乱読をしていたがある所では統計的になっていった。
 太宰より何故に安吾なのか、これは皆価値観が違う事で、私は安吾の人間を見つめる鋭い鷹の様な眼が好きだったし、冷徹なまなざしのなかに温かいものを感じたことで捨てきれなかったという事に尽きる。
 司馬より池波がなぜ好きか、これも後に譲りたい。
 
 今、物書きは読者が何を求めているかではなく、読者をリードするものを書かなくてはならないのだ。
 それが文学と言うものと認識している…。

地方の文化を堕落させたのはその地方の似非文化人たちか…。
  2016/7/21

 人間は一人りでは生きられないからすぐに群れたがる。その人達に共通している事は会を作りそこでさも文化人と言うホーズを取り安穏とすることなのだ。どこの地方にも何々文化団体とか振興会と言う組織を作ってさも文化に貢献している事をアピールしている実態がある。
 果たしてその団体は文化に貢献し新しい文化を創造し振興しているのだろうか。
 私から言わせてもらえば振興の邪魔をしているとしか映らない。毎年同じことを繰り返しておいてそれが振興と言えるのだろうか。そもそも、その会が出来て年を経ていても一向にそこには文化の発展がみられないと言う事はどうしてなのか、そもそも文化に関心がなく、
また知らない人達によって続いているだけだからだ。
 何も新しいものを創造することもない人達が文化人を気どって邪魔をしている事は歴然としている。そんな団体や会はいらない。また、文化に対して行政が丸なげしてそれらを作る事自体が間違っているのだ。文化は行政で作られない、振興はしないと言う事を感じなくてはならない。それを第三セクターに任せてもそこにいる人達は文化と言う言葉の意味を知らない。行事を催すことではなく環境を整備することだ。それらは教育と言う分野の仕事も含まれる。要するに文化とは其の土地の人達の民度を上げなくては育たない。文化人と思っている自称文化人はいらないのだ。其の人達の口癖は過去がどうであったという詭弁がまかり通ることになる。それは前に進むことではなく維持か後退でしかない。
 これらの似非文化人たちは自分が文化人だと認識するために年に何回かパーティーを開く、また誰かが何かを受賞すると何も関係ないのに参加して自己満足をしている。何と貧しいことではないか。
 ここで其の受賞者がその人たちによって催されたパーティーのお返しもある。いい加減に其の馬鹿さ加減を悟らなくてはならない。
受賞者は賞金を持ってそれにある。そんな無駄なことに時間を費やすくらいなら何冊かの本が読めることなのだ。その賞金を不具の人にでも寄付すれば其の人は次の機会を自らが勝ちとったという事に気づかない。何と言う文化人なのかと言いたい。
 其の似非文化人がパーティーを開き招待される事を極上の満足としている人達が文化人と称している人たちの性癖である。
 言いたい、文化人とは何かを作りそれを守り続けている人達の事である。その人達はそんなおごりを持ってはいない。自分のなかにしまいこんで表には出さない人達なのである。特別な、と言う人達ではなくそれを持って文化人と認める人達ではない。
 何か勘違いをしてはいないか。其の文化人と称する人達は社会に何をしていると言うのか。
 生きる、人間とは、その事を追求することに全力を発揮し世の中の人達に頭を下げることを知る人達であり、それが行われないと言う人は真の文化人にはなれない事を自覚することを願っている。
 人間の弱さにもろさに、それゆえに錯覚して群がる、それは知を持っている人はよしとしないことだろう。
 何かを作り其の先頭に立ち旗を振る人こそ文化人と言う人達なのだ。


 文学と言う名の錯覚と優越について 2016/7/23


 文学、作家と言う名前が何と軽くなったことか。時代時代で沢山の作家が世の中に出て作品をあらわしていたが、昨日今日ではトンとお目にかかれなくなっている。これは猫も杓子も大盤振るまいの賞をだした結果において底辺が広くならずに狭くなっているという事だ。今、作家として食べていけている人達が何人いるのだろうか。数えらせる数になっている。それが職業とならないならば優秀な人達は問題にせず書かなくなる。よほどのもの好きが書き続けるくらいになる。
 昔は好きで赤貧を覚悟で書く人達がいたが、その覚悟もない人が多くなっている現在において、それにしがみついている人達は其の素質がない人達ばかりになっている。其の中から受賞者を選ぶのだから質の低下は否めない。昔と比べ書く人が少なくはなっていない。それは売名行為の一番の近道であるという認識から数を増していると言っていい。
 まず、物を考える習慣がなくなっている現在において文化、文学、絵画、哲学など新しく生まれる素地はない。
 何もなくただ近辺雑記を作品にしようと言うのだから文学もなめられたものだ。
 昔の作家にはそれぞれが個性を放ち独特の分野を持っていた。
 歴史作家を目指すなら、まず、森鴎外を、国木田独歩を手本と仰げと言われた。
 純文学なら三島由紀夫を師と仰げ、大衆文学なら泉鏡花、吉川英治、山本周五郎を、推理小説なら松本清張、水上勉を、SFものなら安部公房、小松左京、と言う風にわかれていたものだ。この他にもたくさん教師となる作家はいた。
 私は三島由紀夫に驚愕した。安部公房に恐怖した。其の驚愕と恐怖が今の文学作品にはない。と言う事が不幸なのである。また、それを感じない書き手は楽天するのである。
 果たして書き姿勢はどうなのかり、文学作品と言うより小学生の綴り方になっている。それを読めと言われても勘弁してほしい。それらのこじんまりとしたものに賞を与えている地方自治体の手先の団体とはどのような物なのか。これらは公務員の天下り団体である。よく生涯教育と言う豪華な施設を作っていることもそれなのだ。そこには市民は殆ど行かない、公務員の退職者のたまり場になっている。そこで何をやっているのか、参加者の自己満足の物にすぎない。そこには生涯教育と言う素地はない。文化を深く学ぶと言う事もなく、時間つぶしの広場とかしている、この事を思うとそこに文化の振興のかがり火など上がる事はまずない。
 あらゆる振興を唱える施設や団体は、時代を逆行している現実を知ろうとしない。
 文化など生まれるはずがない、旧態依然のそれをようやく引き継いでいるだけである。まるで知恵のない人たちの集団である。それも税金で運営されているという事の意義は見出せない。
 今更、「源氏物語」読んで何を学ぶと言うのか。世界最古の長編小説、其の内容はポルノ小説であり近親のまぐわいのそれである。ならならば平安時代の歴史を学んだ方が正しい。其の当時の執政者、国民の生活がどのようであったのか、それを知ることで現在を具現化して見れば面白い
 其の様な考えも成り立たない人達が文化を語る、それは何かを欠落させている人達の浅はかなる妄想と知識にしか過ぎない。
 この程度の人達が文化などと言う事に関わってほしくないし、語る資格はない。
 また、郷土史家と言う人達にも、この人たちが書いたものに著作権は存在しない、それを知らぬ人達がなんと多いことか。過去を掘り起こしても想像と言う産物でないことで其の権利がない事を知るべきである。
 其の権利は。ある事を見つけて書くことではなく、頭の中に生まれた創造と言う産物にしか与えられないものであるという認識くらい持っておいてほしい…。

文学と言う化け物について 2016/7/26


 作品を書くと言う行為には色々とあると思う。文字を連ねると言う事は心を伝えると言うことに他ならない。其の心が現代は曖昧も子なのだ。ただ好きでと言うわけにはいくまい。言葉ひとつにも書き手の生活が現われることがあるからだ。いくら書くにしてもそれは文低に隠れている。読む人がそれだけの理解力と生活をして入ればと言う事になるが、現状は読者もそれだけの理解力がなく読んでいるのが実情のように思う。ただ、賞を取っているからいいものだと言うか概念がそれを支えていることが多い。
 今、文学作品が商売の商品になっている事をどんなふうに考えればいいのか戸惑う。
 日本と言う文学不毛の国に何百と言うその賞があることに疑問を感じる事はおかしいことなのだろうか。たまたま、書店に足を延ばすと、そこにはハウツウ物の本が平積みをされていて、後は雑誌と漫画で占められ、新書、文庫本が僅かに棚に並ぶだけと言うあり様、探している本についぞお目にかかった事はない。とにかく、哲学書が純文学の、それも西洋の古典など見たこともない、また、戦後から三島由紀夫の作品までおいていない、書店員も本好きも見向きをしなくなっているという事が如実に現わされている。と言う事は全国の賞を貰う人達はそれらの本を読んでいないと言う事になる。それでも書けるというものはどんな作品なのかと思う。古今東西の名著を読み砕きそれを手本とし目とは言わないが、それを反面教師にすることぐらいはしてもいいのではないか、と言う事はそれすらしていないのだとするならば何を基準にして書いているのかと思う。本屋より、各地の図書館を利用している、と言うのかも知れないが、私自身が図書館を利用としていないので其の状況は皆目分からない。
 まず色々様々な本を乱読して心に蓄え、それを今の社会に当てはめて精査し、まだ実践してみて身につけることで書く知恵をはぐくみ、そのなかから書かなくてはならないもの、つまり、その必然を作品の中で生かす、それが文学と言うものだと認識している私はもう古いのかも知れない。
 と言っても私はこの三十年間読書は蔵書を引っ張りたして読む、と言う事は最新の作品は読んではいないと言う事で判断するのは早計なのかも知れない。だが、今の世相を見ていると国民をリードするような作品は生まれていないと言う事が分かる。
 世界の歴史、日本の歴史。世界の宗教の本などは向きあうが、ことが多いいが。
 近では辻邦生の「西行花伝」は西行を書くときに読み、「銀杏散りやまず」は先祖を尋ねるルーツものとして読んだくらい。私の家の家系を尋ねるために大いに参考になったと伝えたい。南木佳士、かれの作品をなぜ読んだかといえば鬱の作家として読んだくらいだ。少しその医療現場が知りたくて十冊くらいは読んだ。自理知神経失調症を持つ私の精神安定のために読んだ。
 物を書こうと言うものがこの体たらくだからそのほかの人はおしてしるべきだと思う。
 現代は本を読まなくても書ける時代が来たという事なのか。
 もう少しすれば文学書はロボットが書く時代が近い。と言う事は人間の作家はいなくなるという現象がみられるはずだ。各賞は人間にではなくロボット作家が貰う時代が近いという事になる。

医院の待合で文学書を読んでいた…。2016/7/26

毎日通う耳鼻科の待合で隣に座っている女性が文学雑誌を読んでいた。「すばる」昔は昴と漢字で書いていた雑誌だ。
当時、と言ってももう四十年も前か、文学雑誌の最盛期の頃には、沢山の雑誌が出ていた。
「文学界」「文芸」「群像」「すばる」「海燕」「文芸展望」「新潮」「海」など、まだ忘却しているものがあるかも知れないが、ここらが大まかなところだった。出版社はもううる覚えになっている。
 そのころは書店に行って読みたいものが乗っている本などを何冊か買い求めていた。純文学の雑誌はよく売れていた。これらは文学青年に取って教科書の様なものだったからであろう。とにかく物書きになりたいと言う予備軍はものすごくいて、それらの人達はどこかの同人誌に所属していたから、その中の雑誌を取り上げて批評すると言う会がおこなわれるので読んでなかったら参加が出来なかっだ。どの雑誌も其の当時の書き手、大物たちが書いていた。それらを読んでああでもないこうでもないとやり合っていた、それは大変に不遜なことである事を今は思うが、そのころは意気軒昂に騒いでいたものだ。この会で何を学んだのか、私は書き手の姿勢を教えられた。姿勢と言うのは書き手の生活観である、総ての作品は書き手の生活観から生まれるものだと言う事を肌で感じていた。
 「文芸展望」の「太宰治賞」を取った宮本輝が「泥の河」で一躍名あげて次作の「蛍川」で芥川賞を取ると言う快挙、私は読んでいてこれは妥当だと感じた。これは彼しか書けない自分の領域を知って書きこんでいるもので他の追従を許さないものだった。後年も沢山の名作を残しているが、自律神経失調症で何時もどこうへ行くのも家人と一緒でなくては行動できないという病に負けずに書く覚悟は立派であろう。
 また、文学界新人賞から芥川賞を貰った南木佳士も鬱にさいなまれながら、医師と作家を両立されて問題作を発表している。賞の裏側を書いた人はこの人だけなのだ。ここにはそれを書かない。
 今日の事、まだ「すばる」が売られていてそれを買う女性の存在に驚いたが、なんだか、昔をしのんで懐かしくもなった。今どのような人たちが書いているのかはさっぱり分からない。その手の雑誌を手に取ることもなくなっている。
 こんな片田舎で文学作品が読まれていることに少し嬉しくなったので書いてみた。ひょっとしたら時代を作る一人の作家になるのかも知れないと嬉しくなった。
 まず書くと言う狂気と執念があれば、飯より好きと言う概念があれば其の日は近いかも知れない…。
 だが、今の時代で物書きで食べられる職業ではない。その事を思う時、むなしさが募るのだ…。


 今文化の世界に何が起こっているのか  2016/7/27

 何かが起こっている、と感じたのは最近ではない。思い返せば三島由紀夫が自死した後のように思う。かれの死が何を持たらしたのかは、どのような主義主張、のもとでのことには関心があるがそれはかれのものなので触れたくはない。が、センセーショナルな事件であり日本人の精神を問い質したものである事は確かだった。
 かれのなきあと日本から文学が消えたという事を肌で感じた。其のひとつとして作品の中の文章から匂いと色が消えたという事だ。また、行間から訴えてくるものがなくなった。行間を読むと言う楽しみがなくなったと言う事だ。
 三島野の作品を読んで身ぶるいをした、何と言う日本人の考えなのか、何と言う日本語を知りつくしているのか、何と言う日本語を使って綴って書いた文章がなめらかなのか、文体に色気を感じ、其の向こうの作者の情熱と狂気を感じたという事で身ぶるいが出たのだ。
 それに似通ったのは、辻邦生、宮本輝、三浦哲郎、連城三紀彦、南木佳士らであろう。色とにおいを十分に感じ取らせて頂いた。其の後の事は全く読んでいないので言葉がない。
 これは独特の臭覚で感じ取るもので、今の世界に其の風は吹いているのかも知らない。それ以上の物があるとも思えない。
 地方にいても日本の動きは感じることが出来る。それは投げつけられる情報である。何かが起こっていれば其の情報はストレートに届く。
ここで私が書きこんでいる事は其の情報を私なりに精査してのものだ。また、私の言葉は私から発せられたものであるので他の人との隔たりはあることだろう。それは寛容に考えている。
 今なお、日本の文学は終わっていないと言う人がいても差し支えない。それも快く認めたい。これはあくまで個人としての発言である。大勢など考えていないのでそこのところはこのように考える人もあるとご容赦願いたい。
 嘗ての文学最盛期の時を知っているものとして、文学はないと書いた。これはあくまで私観である。
 まず上げなくてはならないのは坂口安吾、安部公房である。この二人の物を読んで慄き打ちひしがれた。狂人か、偉人か、人間の思考を遥かに逸脱しているように思えた。新鮮さを感じ昂奮した。
 まさに新しいもの、それを必然としてあっさりと書き著わしていた。
「満開の桜の木の下で」「堕落論」の中の「日本文化私観」「風博士」私は至福を頂いた。安吾からの贈り物である。
 また、「第四間氷期」「砂の女」「棒になった男」「箱男」「燃え尽きた地図」「未必の故意」などに心奪われ読みあさっていた、
 安部公房は「第四間氷期」で日本最初のノーベル文学賞にノミネートされている。
 いい時代であったと思っている。良書に出会える時代であったことに感謝したい。
 開高健からは行動する文学を教えられ、遠藤周作には人間の根源に触れさせてもらい、長谷川伸、山本周五郎には人の心の情けを学ばせていただいた。其のほか乱読するなかには心に垢として残り生きる姿勢になっている人達がいた事は付け加えなくてはならない。
 また、沢山の人の生の原稿を読ませて頂いて喜怒哀楽を教えられた。
 そんな時代を知っているからというのではないが、今は殺伐とした感はぬぐえない。
 あの時代には作家は飯が食えたが、今はどうか、ある一部の人だけが職業として成り立っている。
 日本の大学に文学部はいらないと言う風潮が盛んに飛び交っている。それは日本に文化の、文学がなくなっているという見方がある。
だが考える、想像する、書く、読むその喜びをなくしたら何と無味乾燥な社会になることだろうかと危惧している。
 商売にならないから作家を使い捨て、ならば書くことが好きて好きでたまらない人達は自費出版をして世の中を巻き込む程の野心の火を燃やしてほしいものだ。
 なくなるのは商売の文学であり、個人の文学は一人一人のひとたちにある、書くこと、読むこと、それを感じる豊かな精神の中にあることを信じてほしい。
 文学は専門家、作家のものではない、読む者の体内に巣くう現代の人間の本能としてあってほしい…。


心に残る文学作品について  2016/7/30


 まず上げなくてはならない作品は前にも書いているが、坂口安吾と安部公房だろう。無論、三島由紀夫には大きな影響を受けた。
 其のかれらについてはここで書かないことにする。
 それ以降では辻邦生、私が西行法師を書くときに参考書として読み砕いた。「西行花伝」彼らしい緻密な文体で、彼が調べつくしたものを流れる様に書き連ねていた。平安末期の時代背景は見事にそれを読むと手の中に入ってきた。西行の出自を始め自領の紀伊の国の北の荘での生活の様から妻子の愛情を克明に書き、その平和をなげうっての出家と言う突然の出来事があまりにも理不尽として読むものを悩ましたのは待賢門院の存在であった事を説明していた。
 鳥羽帝の北面の武士、仲間には平清盛などがいた、清盛とは嵯峨野への競い馬をよくしていた。待賢門院の局である百人一首に出てくる堀河の、歌人の仲間たち、高野での仏道修行、密教の荒行など、吉野の桜を配して書きすすめられていた。これらを元に熟慮して「紫しだれ桜」「花時雨西行」を一人芝居として公演、朗読劇と上演した。
 後に滝口入道を書く時にも大いに役に立った。横笛を吉野のふもとにある天野の里で待つ女として書きこむことが出来た「天野の里の露」として一幕物として書いた。
 また文覚を書いている時に北面の武士、遠藤盛遠も理解できたという事です。流刑にあい、また、鎌倉に都合のいい立ち回りも彼の人生の一こまの一つとして、隠岐の島での死まで、なくなるまでの物語を書けた。これは「不覚文覚荒法師」として一人芝居として書き公演した。
 それらは辻邦生の「西行花伝」を読んでいなかったら書けなかったであろうと思う。また、西行については白州正子の本を数冊読んだ、西行の歌を理解できたのはこの人のお陰で会った。
もともと西行を書くつもりはなかった。通きせぬ興味は、藤原璋子様、中宮璋子様、それから待賢門院様へ、の女性の生き方を平安の末期に求めてみたかったという事だったのです。白河法皇に幼い頃より寵愛され鳥羽帝に腰入れ、其の帰趨な運命になかで女性としてどのように生きたのか、生かされたのかを書きたかったのです。そこに、西行が、堀河の局が絡んできたのです。
そこで出会ったのが辻邦生の「西行花伝」であったのです。雲が晴れるように一気に書き上げることが出来たのです。其の間、西行の書かれたものはずいぶんと読みこんでいました。
一夜の待賢門院とのちぎり、それが西行の生き方をがらりと捨てて、妻子を捨て、地位も捨てる生き方に変わったのです。
また、かれの「銀杏散りやまず」では人のルーツを探す困難と辛抱を教えられました。尋常な書き手ではない事を認識しました。そこで、先祖は今生きている人の行いと顔にあると知らされました。辻邦生の作品は沢山買い求めて読みましたが、心に残っているのは二つになっています。
巡りあわなかったら西行も待賢門院も堀河も滝口入道も文覚も書けていなかったと言えます。また、江戸の末期の良寛禅師も書けなかったと言えます。良寛を書く時に常に西行ならどうすると言う自問の中で書きすすめていました。俗世の西行と、清廉な良寛、其の違いはあるけれど非常に心は近かったと思い書きました。
辻邦生がいなかったら書けていない、かれは私を導き書かせてくれたものと思っています。
心に残る書のひとつはかれの手による「西行花伝」、辻邦生なのです…。


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